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午の方と吉野

五月も残り少なくなり来る月は一年で最も日の長い「夏至」を含む月となる。丁度、冬至と反対の季節の到来です。

今の暦では6月ということになっていますが、日本の永いあいだ文化を形成してきた太陰太陽暦では、約1ヶ月遅れているため「夏至」を含む5月となり、「冬至」を含む11月が「子月」ですから丁度、「午月」になる。

子月が「一陽来復」を示す光の初めの月なら、「午月」は陽気がピークを向かえ、陰の気が生まれる「天風后」にあたり、冬至より伸びてきた日照が、夏至を向かえ僅かではあるが陰を含んでいる。

為政者にとって、この「子午軸」は、これを境に反転する四時順行の大切な時令呪術となっている。

「午」は易の方局では夏、火の旺になり、旧暦ではこの午月の最初の午の日に「端午」の節供を祝い、端午の節供は「男の子」の節供となっています。少男は「艮」であり土気であるから、火気の旺である午とは「火生土」の相性となるからであろう。

午の火気としての用い方としては、人間は生死を含み土気に配されるため、死者の往生をとむらう墳墓は午の方位(南)に設けたようである。また火葬にするのは「火生土」の同様の理由からにちがいない。
                  
古代より政権を追われた王権が、南の吉野にむかったのは、力の再生を願っての呪術的な行動だったにちがいない。
天武も、後醍醐も、また義経も吉野に逃れてから、捲土重来を図ったのは頷ける。

古代、山は「蛇」がトグロをまいたカタチとして三輪山を信仰していたのですが、大陸より易、五行がはいると、山は火の象形とみなされ、山を祀り信仰するには神木をもって行い、吉野では神木としての「桜」を植え、修験道をひらいた役小角は、蔵王権現を感得してその姿を桜の木に標したことから、三世を救済する蔵王権現の山岳信仰に桜が奉納され名所となった。

                  蔵王権現1

吉野の蔵王権現像は火と金を象形している。火気は燃えあがる火焔の光背、憤怒の形と眼。

金気は足下の岩、手の刀印。その結果として、火の兄(丙)と金の弟(辛)の干合で「丙辛=水」とするため、吉野は水の山であり水と火(陰陽、地と天)統合の祭政のシンボルとなるのであろう。
そして水は木を生み、木は火を生み、火は人を生むという五行相生の循環をあらわすことになる。

女帝としての持統天皇は天皇としての子、北辰の陰、加えて女性としての陰、坤の気が強いため、敢えて30回以上も陽の気をもつ吉野行幸を行ったといえる。それとも夫、天武天皇の火の徳を偲んでのことでしょうか?

天武と共に「遁甲をよくする王権」としては、単なる抒情や遊山ではなく、したたかな計略であった気がします。
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