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佐賀城の鬼門落し

佐賀城(1611年)の址をみると、もとは龍造寺氏の村中城を拡張したため複雑な経緯もあるがやはり当時の築城の呪術であった風水の思想を用いていたように思う。
               佐賀城1

とりわけ、城の鬼門を封ずるための鬼門落としとして城郭の北東(丑寅)の一角を欠くようなつくりにみえる。わかりやすく例示すると京都御所の鬼門封じの猿が辻の隅落しのようなもののようだ。

他に、鬼門の方位に佐賀神社とその延長線には願正寺や牛島天満宮を置き、裏鬼門には宝琳寺を配している。北の玄武の段丘には10代藩主、鍋島直正公の墓所を祀っている。

平安京では鬼門の方向に比叡山延暦寺が、裏鬼門の方向に石清水八幡宮が、江戸城では鬼門の方向に東の比叡山として上野に寛永寺が、裏鬼門の方向に増上寺が置かれた。

江戸時代は、鬼門の方向への造作・引越は忌むべきとされ、人々は家の鬼門の方角に桃の木を植えたり、鬼門とは反対の方角が申であることから、猿の像を鬼門避けとして祀ったりした。京都御所の北東角には屋根裏に木彫りの猿が鎮座し、鬼門を封じている(猿ヶ辻)。

現在でも、家の中央から見て鬼門にあたる方角には、門や蔵、および水屋・便所・風呂などの水を扱う場所を置くことを忌む風習が強く残っています。 
              御所鬼門欠け

日本の後期城郭では、縄張を鬼門除(きもんよけ)のために土居を隅欠(すみおどし)として一部削り取ったりして鬼門を無くす工夫をしたようだ。

「鬼門落し」は、建物や敷地の北東隅を欠くことで、北東隅を造らないようにしたもので、有名な処では京都御所がある。ほぼ正方形になっている禁裏は北東隅の塀だけが欠けているが、江戸の寛永寺や彦根城の中堀における多折れ構造など中世の城郭でも数多くの「鬼門落し」が見られる

また金沢城の石垣を築いた後藤家の秘伝書では「磁石で鬼門を調べ、その鬼門には石垣の角を置かぬように」と記されている。磁石とは方位の吉凶しらべたりする木製の羅盤のことである。

佐賀城の堀をみるとやはり北東の掘割に隅欠(スミオトシ)がみえるのは、こうした鬼門落しの思想を採用した縄張りだったに違いない。

九星方位図でみると北東は八白土星の「土気」で北の水とは「土剋水」、東の木とは「木剋土」とそれぞれ五行相剋の関係となり陰陽の境目が不連続のため鬼神が出入る鬼門とされていた。
              方位と五行

そこで北東の丑寅を隅欠しにすることで「水生木」の相生に転換する呪術だったのだろう。それとも四角形の構造を五角形の五行の整う形状にした呪術だったのだろうか ・・・
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