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平清盛と禿髪(かむろ)

「平家にあらずんば、人にあらず」全盛を誇った平家への不満分子を平時忠の工作により抹殺するために登場した「禿(かむろ)」について、大河デビューが劇画のように鮮烈なため、巷で話題を呼んでいる。

・密偵役なら「赤い直垂(ひたたれ)」や白化粧の衣装は目立ちすぎ
・どうして柔弱な児童に大人の侍が殺られるのか作り話だろう
・なぜ宮中など自由に出入りできるのか常識で考えられない・・・
                 禿1

平家物語「禿髪(かむろ)」の記述によれば、
【14歳、15歳の童を300人えらんで、髪をかむろに切りまわし、赤の直垂を着せて、京の市中を徘徊させ、平家のことを悪ざまに言うものがあれば、これを聴きだし、その家に乱入し、資財、雑具を没収し、当人をとらえ六波羅に検束した。市中のものは禿髪を恐れて関わらないようにしたので宮中にさえ出入りし、禁門をとおっても姓名をたずねる者さえなかった】

この部分の疑問は今日の視点に立つからであり、確かに語りものではあるが、その時代の律令国家の背景や思想を確認しないと無理もない。

武家社会の登場する以前の貴族社会では、怨霊や穢れ祓いの呪術が支配しており、死や血にかかわる者はケガレを負うもので忌むべきものされた。
従って寺社や身分の高い朝廷などは直属に非人、神人、放免、寄人などと呼ばれる卑賤の民を使役してそのような仕業を請け負わせていた。

朝廷を警護する武家もそのような意味ではケガレを負う身分でとても殿上を許される位階ではなかったが(朝廷の犬)出世をすれば「令外の官」としての検非違使を担うことはあり、平時忠は、検非違使として禿(かむろ)を使役する立場にあったようだ。

禿や神人は、律令の枠から外れた非人とされたため、寺社や朝廷などに出入りでき、通行などは比較的、自由に認められていた。
                八瀬童子3

童は、神霊の依りつく尸童(よりまし)とされていて蓬髪は霊威の発揮する霊能者などの頭髪であり、白粉の化粧は神霊が乗り移った標しだった。

「易経」によると少男は、艮(丑寅)であるため「鬼門」を出入りする鬼(隠)の子として人の生死や葬送などに関わることができる童である必要がある。分かりやすい例は、八瀬の童子が平安京の鬼門を鎮護する延暦寺に属し天皇の輿丁を担ったことを考えるといい。

【八瀬童子(やせのどうじ)】現在の京都府京都市左京区八瀬)に住み、室町時代から天皇の輿丁として奉仕した人々のことで、延暦寺の雑役に従事し鬼の子孫とされた。寺役に従事する者は結髪せず、長い髪を垂らした童姿であったため八瀬童子と呼ばれる。

今日でも、童の祭祀者としての働きは子供流鏑馬や、祗園山鉾の稚児の役割として残っているようです。
               
禿の赤い衣装は、陰陽五行では「火」を意味して「火生土」の理により尸童(よりまし)のパワーを強め、羽根を付けたのは古代のシャーマンが神霊の使いである鳥の羽を付けていたことなど、線刻された土器や壁画で確認できる。

中世前期の非人は、検非違使の管轄下で「囚人の世話・死刑囚の処刑・罪人宅の破却・死者の埋葬・死牛馬の解体処理・街路の清掃・井戸掘り・造園・街の警備」などを特権的に従事した特命職能集団だったが、中世後期には次第に「畏れの対象」から「穢れの忌避」に変化し、非人に対する見方も「畏怖視」から「卑賤視」へと変わったとされる。やがて河原者・無宿者なども指すようになった。

こうした時代のケガレ思想や易・五行思想を背景にしないと荒唐無稽な創作としての感想を懐かれてもやむをえないのでしょう。
考証は装束など有形のものに限らず宗教や民俗という無形の背景を加えないとトンチンカンな感想を与えることになる。
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