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築地反射炉跡と周辺

長瀬町にある日新小学校の校庭入り口辺りには、佐賀藩の「公儀御用石火矢鋳立方」との木札の門があり長崎防備にあたった「大砲鋳造所と調練所」があったという。偶然にも本年の大河ドラマ「八重の桜」の舞台である会津藩の藩校が「日新館」というのはおもしろい。
                            
ドラマはやがて幕末の蛤ご門の変、戊辰戦争をへて明治維新への回天への原動力となっていくようです。
幕末の品川砲台に据えた大砲は、黒船来航の場面に登場し、主人公「山本八重」の兄である日新館の砲術師範の子、山本覚馬と共に登場する場面があった。
                 品川砲台1

江戸湾の防備には会津藩があたり、品川砲台の大砲はアームストロング砲の技術と威力に驚いた幕府の注文により、佐賀藩の築地反射炉にて鋳造されたとも云われている。

しかし両藩は、同じ大砲をはさんで、戊辰戦争において上野彰義隊や会津戦争で対峙することになるとは幕末史の悪戯だったのでしょうか?

開港を許された長崎の防備を預かった佐賀藩は、西洋の技術をいち早く学ぶ立場にあり、英明なる十代藩主であった鍋島直正は、その危機感より藩内に人材を輩出してきた藩校である「弘道館」を拡張充実させ医学校「好生館」や海軍学校を創設し、この地に西洋式反射炉をつくり大砲鋳造と用兵の調練を行ったという。
                   カノン砲

長瀬町は佐賀城下町をつくるときに、城北の長瀬村(現高木瀬町)に住んでいた刀工、肥前忠吉らの一族を移住させたことから由来するようだ。
鉄砲座、金銀座、木工座、煙硝座、縫工座、穀物座の名のもとに旧長崎街道沿いに六座町として名が残っている。

街道は城下を防備の理由から迂回し曲折した経路をたもち、建物は鋸状に矢玉を防ぐ盾の様に整形されていました(ノコギリ街道)

現在でも道幅は人馬が通った時代のごとく狭く、今でも車両は一方通行が精一杯で旧道の面影を残し周辺には旧藩時代を偲ばせる建造物や史跡も豊富にあり往年の様子が窺がわれます。
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