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愛犬マロンへの鎮魂詩

 あの子は 風になった。

 寄合のあと覗いた繁華街のショップで、小さなガラスのケースに入って、生後2カ月程度の子犬が並んでいた。
陳列ケースには、照明があてられ、スヤスヤと眠っている子もあれば、ショーケースを覗く親子やカップルに媚を売るような子犬たちもいた。

その中に、黒と白のツートンのMダックスがいて、帰ろうとするボクの方に向かい、未だ、か弱く短い足で立ち上がり
何かを懸命に訴えるような仕草をしたのがマロンだった。

 衝動買だった──
              Mダックス


二人の子が家を離れて、それぞれが離れた土地に暮らし始めてからは数年が過ぎていた。
 何か代わりにペットでも、と思ったことも正直あった。

 それにしても信じられない早業で、子犬を連れて帰ろうと決断したのは・・・
 きっと「子犬とは運命の出逢い」と思ったからである。
「実力行使しかない・・」と僕は考えた。

組立式のゲージと、餌をあたえる食器と、当面の餌を買い込んで、茶色の段ボールの箱に入れてもらい、車の助手席に乗せて約1時間の道のりを運転して家に連れ帰った。

妻は、驚いていた。
どちらかといえばペットの世話は苦手のような素ぶりだったからだ。

とりあえず子犬のゲージを組立て、中に毛布を敷きその夜は休んだ。
 階下のほうから、子犬が啼いているような声がしていた。

急に知らない家に引き取られ、車で一時間も揺れて、少し車酔いしたかのように、着いたときには、数時間前に食べたと思われるフードが消化液と混じりふやけた状態でこぼれていた。

無理もない。でも二三日で落ち着くに違いない・・・

名前を付けなければと思った。男の子のため「源太」とか、腕白小僧のような名前を僕は考えていたが・・

離れたところにいる娘からメールが来た。「マロン」という提案だった。
子犬を見てないから、勝手に茶色のダックスをイメージしたのだろう・・・
また、そんな名前のダックスを飼っているタレントもいたようだ。

男の子にしては、ちょっと弱々しい名前の気もしたが、せっかく娘からの命名だったので、「マロン」と名付けて我が家の一員に加わった。

              マロン

マロンは、元気がよくて やんちゃな子だった。

トイレの躾は早かった。ただ、乳歯から替わるとき、サイドボードや箪笥の把手を噛んでボロボロにした。
子犬を飼うことに、抜け毛や動物臭とか、初めは消極的だった妻も、どうやら味方に惹きつけたように見えた。

 時折、テーブルの脚や洗い立ての衣服を噛んで叱られると、脱兎?のごとくに庭に飛び出して植え込みや庭石の間を壊れたラジコンのように走って逃げた。

あるときは庭のヤモリを追いかけ、千切れたシッポを口に咥えて来たことも、枝に止った小鳥に吠えたことも、集金や宅配便のチャイムに激しく抵抗し身体を震わしたこともあった。

そんなマロンに異変を覚えたのは、私が毎日森林公園まで大好きな散歩に連れて歩き始めてから3年目の9月の初旬のことで10才を過ぎた頃だった。

 朝食のあとの散歩は日課となり、あの子は自分で首輪を咥えて来て、外の天候に関係なく僕を誘ってきた。雨の日も、雪の日も同じだった。

それまでは、垂れた耳の内側が炎症を起こすくらいで、掛かり付けの動物病院でも何も異常はなかった。
或る日、いつものように公園内の散歩をさせたとき、マロンが左の後肢のびっこをひいたことがあった。
肉球の間に棘などが刺さることもあったので、調べてみても何もなく見た目は分からなかった。

歩き方も特別に変だとは思わなかったが、病院で診てもらうと、マロンは緊張したのか気丈にも歩きかたを、ちゃんとしてみせた。
一応、注射をして飲み薬をもらい、自宅に帰るとまたいつものように異変もなく一カ月くらいは何事もなく過ぎた。

             ダックス1

しかし十月の中ごろになると、また足の具合が悪そうで、少し歩くのがのろくなり、段差を登り切るのが躊躇われるようにみえた。また時折、抱えるタイミングで「キャン」と啼くことがあった。

状況を報告しに病院にいって診せ、自らもネット検索で症状を調べたりした。だいぶ犬の病例が詳しくなった気がする。

「はっきりとは言いにくいのですが、ヘルニア系の症状に見えますが断定はできません」との診断だった。
 言い方があまりにも・・曖昧なので・・
「先生、ヘルニアなんですか?」と確認したが、ヘルニアとも少し違うといわれ、飲み薬を頂いて様子を見ることにした。(ダックスはヘルニアになりやすい犬種といわれていた)

薬を服用していた間は、いくぶん症状も失せて、またいつものように散歩を続けた。
 ただ、少しずつ歩くのが辛そうになることが増えていた。
また病院にいくと神経系の場合もあるので、そのうちレントゲンか血液検査も必要になるかも知れないと言われたが、病名は告げられなかったので、止むを得ずセカンドオピニオンも受けることにした。

しかし特に病名を特定するほどには、エコーでも異常はなくいつもと同様の診断をうけただけだった。
するとこの間にも、いよいよ散歩がふらつくようになり、足も弱っているようだった。
            マロン2

その日から散歩はやめたが、家のフローリングが滑って辛そうだったので肉球に滑り止めを塗ってあげた。食欲はあり、オシッコも自分のトイレに頑張って立ち上がりいくようだった。

だだ、時にはトイレまで辿りつけずにフロアにお漏らしをすることもあった。その時あの子はなんとも哀しそうな目をしたのが辛かった。もう誰もマロンを叱ることはできなかった。

ある日、立ち上がることもままならず、悲鳴をあげ数分間だが、痙攣をするようになった。
 身体をさすっている時間が、とても長く感じた。

11月の初め、連休が予定され、診療が休みのようだったので辛い状況を電話で説明すると、休日診療の当番医を教えてくれるのみだった。

「もう痛み止めを注射するぐらい・・」と思われたので。覚悟して看病を続けた。

 数日が過ぎ、とうとう寝返りもできないようになり、食欲もなくなったようだ。
 数時間おきに私は、手で寝返りをさせ、スポイトで犬用の保水液を飲ませると偶に舌をだして飲み込んでくれた。

11月4日の早朝、一緒に傍で寝ていてまだ薄暗い中、マロンの息が粗くなり、心臓が早鐘のように打ちだし、緊張が走った・・・

遂に、鼓動が止った。何度も身体を撫で、声をかけたが・・反応をしてくれない。身体は徐々に冷たくなり、手足が重く硬直が始まったようだった。

「死んだのだ・・・」

「チクショウ」と何度も歯ぎしりをして悔やんだ。

ダックス4


 動かなくなったマロンを毛布に包み、両腕に抱いて、もういちど外の景色をみせてやった。
そのあと亡き骸を居間に移し、保冷剤を下に敷いて、とりあえずその一日は、通夜を行うことにした。

次の日には妻とふたり、花を添え、「千の風になって」の曲をなんども聴かせ、あの子の葬儀を行った。

いよいよ翌日は、いつもの大好きだった散歩コースを車で辿りながら、火葬場のほうに向かった。
十年間ありがとう、の思いを手紙に書いて、冷たくなったマロンに花や好物の林檎と一緒に供えた。

分かれの時間が来た。

火葬の炉の前に寝かされたままのマロンに、最期の別れを言い、身体を撫でてやりながら・・
「行っておいでマロン」と荼毘の扉の向こうに送った。

「ガチャン」・・鉄の扉の冷たい音だけが残った。

外に出ると・・焼却炉の屋根の煙突から、白い風が、空に向かい揺らいでいた・・
虚脱感のなかで、もう一度 手を合わせた。

二時間ほどのちに、「お骨あげ」の準備が整ったと職員さんから声がかかった。

どうぞ、と云われたが、一瞬、マロンの姿を見失った。
ここですよ、と指された小さなテーブルには、想像もできない、小さな白い骨になったマロンがいた。

「こんなに小さくなって・・・」

また妻と二人涙があふれた。懸命に遺骨を足の先のほうから、小さな骨壺に拾いはじめた。ひとかけらも見逃すまい、と手の平でテーブルの灰を丁寧になぞった。

職員に、少しばかりの手元供養のための骨片をもらい、あとは骨壺に可愛かった写真を添付して納骨堂に納めてから、もぬけの空となった家に帰った。

                   骨壺

家のドアを開けると・・いつものように扉の陰から飛び出してくるマロンの気配が続いた。
何日も何日も・・・マロンの姿が、僕の脳裡の奥で動いていた。

もう居なくなったことを受け入れながらも、棚の上の遺影に、まだ沢山残っているフードを供えて陰膳を続けている。

初七日を通い続け、四十九日は果物、チョコレート、花をそえて天国に送った。そして月毎の命日である毎月4日には焼香のために、お参りに行っている。

もう、半年経った・・あの子のあとにも、いつの間にかまた、風になった子たちが増えていることに気づいた。(了)

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