「御田舞い」と猿のこと
毎年 巡って来る催しを「年中行事」といいますが、数年に一度の周期で行うものを「周期伝承」といいます。諏訪神社の「御柱祭」は7年に一度行われ、20年毎の伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度行い62回を超えています。
こうした周期伝承のひとつに、佐賀県 神崎町の仁比山神社の「御田舞い」がある。
12年に一度巡る「申」年の 四月の最初の申の日から、次の申の日までの13日間に行われる「大御田祭」に限り奉納される神事芸能です。

春の農事に先立ちその年の豊作を予祝する祭りで、社の境内に特設の舞台を設け30人ほどの御田役者によって演じられ、太鼓と鼓に合わせ謡いながら、それぞれの役者が 種まき・代掻き・田植え・大空の舞いへと進み、最後に赤鬼、青鬼が登場し、大斧を舞台の床に打ちつけながら、激しい舞により悪霊を鎮める。
舞台から蒔いた種籾は持ち帰り、一緒に混ぜて苗代に蒔くと病害虫に強い苗に育つとされてきた。
仁比山神社は、古くは日吉神社と称し、サンノウサン(山王社)とも呼ばれ主神は農業神としての信仰のある大山咋神でした。
山王は 山の神を指し、また日吉=日枝で比叡山(日枝山)のことだったので仁比山とは比叡山に由来するものらしい。
大山咋神は、山末之大主ともいい山の麓の守護神という意で山王権現という神格と比叡山の猿とが結びつき猿が山王の神使になったとされる。

また猿は、インド「ラーヤーマナ物語」では主人公の王子を助け魔物を退治する聖獣として登場し、西遊記には三蔵法師を守る孫悟空として活躍した仏門の守り神でした。
童話 桃太郎では雉、犬とともに鬼退治に加勢し文字どおり鬼門の方位を守る神獣としての霊格を示しています。
また日枝神社の神使としてだけでなく御所の猿ガ辻の鬼門やその方位にある「幸神社(サイノカミノヤシロ)」、比叡山の登り口の「赤山禅院」になどに猿の木像が掲げられ鬼門封じを担っている。

さて、仁比山神社が日枝神社だったこと、山王は山の神であり神使は「猿」であるために日枝神社に猿が登場し、仁比山神社にも猿の像が見られることは分かりました。
そして12年に一度巡る申年に限っての周期伝承であること、申年の4月の最初の申の日から次の申の日までの13日間の「御田舞い」に限ると、あくまでも猿に拘り、且つ農事の初めの四月(旧暦だった)に行われるか考えましょう。
「御田舞い」は、山王が猿であり大山咋神が農神だという理由だけでは説明しにくい猿への拘りをみせているからです。
いつものように、陰陽五行の視点からみると、それはスバリ「水の神事」であるということです。
農事の始まりは「水を得ること」、猿は金気の獣で悪霊を防ぐ霊力をもつと同時に、猿は水の化身であり水の初めでもある。十二支の三合では申・子・辰は「水」となり、また巳と支合して巳申は「水」とされています。

「巳」は四月のことで、水神に関わる祭りが多くみられる。蛇は水神であり榖神ともされ(宇賀神)竜神や川の神である弁財天とも習合しているようです。
そして農事の始めは水の始めの故に、徹底して申と巳の水が登場するように仕組まれていると思われる。
「申年の四月(巳)の初めの申から次の申の日までの13日間」とはこのことであり、13という数も4と9金気の数の和となり、五行では「金生水」で水の祖となり、ここでも水が加勢され祈願されているようだ。
「御田舞い」の役者は、狩衣に烏帽子の正装である。烏帽子は「黒」であり黒は「玄」であり「水」でもある。
赤青の鬼は春の日照と水の調和を示すのもで、猿自身は顔が赤く、水でありながら日照とのバランスを保っている。
火除けの絵馬に猿が烏帽子をつけ御幣を手に馬を曳いている絵が見えるのは、火(馬)を猿(水)が制御できるというモノザネのようで、昔は馬の医者のことを「猿屋」と称したのはその理由です。
神社の楼門に猿を掲げているものを見かけるのは、火災封じの呪術と理解するとよい。
このように先人たちは、ある時代徹底した陰陽五行を祭祀に取り入れてきたものが瑞穂の国の伝統のようです。
こうした周期伝承のひとつに、佐賀県 神崎町の仁比山神社の「御田舞い」がある。
12年に一度巡る「申」年の 四月の最初の申の日から、次の申の日までの13日間に行われる「大御田祭」に限り奉納される神事芸能です。

春の農事に先立ちその年の豊作を予祝する祭りで、社の境内に特設の舞台を設け30人ほどの御田役者によって演じられ、太鼓と鼓に合わせ謡いながら、それぞれの役者が 種まき・代掻き・田植え・大空の舞いへと進み、最後に赤鬼、青鬼が登場し、大斧を舞台の床に打ちつけながら、激しい舞により悪霊を鎮める。
舞台から蒔いた種籾は持ち帰り、一緒に混ぜて苗代に蒔くと病害虫に強い苗に育つとされてきた。
仁比山神社は、古くは日吉神社と称し、サンノウサン(山王社)とも呼ばれ主神は農業神としての信仰のある大山咋神でした。
山王は 山の神を指し、また日吉=日枝で比叡山(日枝山)のことだったので仁比山とは比叡山に由来するものらしい。
大山咋神は、山末之大主ともいい山の麓の守護神という意で山王権現という神格と比叡山の猿とが結びつき猿が山王の神使になったとされる。

また猿は、インド「ラーヤーマナ物語」では主人公の王子を助け魔物を退治する聖獣として登場し、西遊記には三蔵法師を守る孫悟空として活躍した仏門の守り神でした。
童話 桃太郎では雉、犬とともに鬼退治に加勢し文字どおり鬼門の方位を守る神獣としての霊格を示しています。
また日枝神社の神使としてだけでなく御所の猿ガ辻の鬼門やその方位にある「幸神社(サイノカミノヤシロ)」、比叡山の登り口の「赤山禅院」になどに猿の木像が掲げられ鬼門封じを担っている。

さて、仁比山神社が日枝神社だったこと、山王は山の神であり神使は「猿」であるために日枝神社に猿が登場し、仁比山神社にも猿の像が見られることは分かりました。
そして12年に一度巡る申年に限っての周期伝承であること、申年の4月の最初の申の日から次の申の日までの13日間の「御田舞い」に限ると、あくまでも猿に拘り、且つ農事の初めの四月(旧暦だった)に行われるか考えましょう。
「御田舞い」は、山王が猿であり大山咋神が農神だという理由だけでは説明しにくい猿への拘りをみせているからです。
いつものように、陰陽五行の視点からみると、それはスバリ「水の神事」であるということです。
農事の始まりは「水を得ること」、猿は金気の獣で悪霊を防ぐ霊力をもつと同時に、猿は水の化身であり水の初めでもある。十二支の三合では申・子・辰は「水」となり、また巳と支合して巳申は「水」とされています。

「巳」は四月のことで、水神に関わる祭りが多くみられる。蛇は水神であり榖神ともされ(宇賀神)竜神や川の神である弁財天とも習合しているようです。
そして農事の始めは水の始めの故に、徹底して申と巳の水が登場するように仕組まれていると思われる。
「申年の四月(巳)の初めの申から次の申の日までの13日間」とはこのことであり、13という数も4と9金気の数の和となり、五行では「金生水」で水の祖となり、ここでも水が加勢され祈願されているようだ。
「御田舞い」の役者は、狩衣に烏帽子の正装である。烏帽子は「黒」であり黒は「玄」であり「水」でもある。
赤青の鬼は春の日照と水の調和を示すのもで、猿自身は顔が赤く、水でありながら日照とのバランスを保っている。
火除けの絵馬に猿が烏帽子をつけ御幣を手に馬を曳いている絵が見えるのは、火(馬)を猿(水)が制御できるというモノザネのようで、昔は馬の医者のことを「猿屋」と称したのはその理由です。
神社の楼門に猿を掲げているものを見かけるのは、火災封じの呪術と理解するとよい。
このように先人たちは、ある時代徹底した陰陽五行を祭祀に取り入れてきたものが瑞穂の国の伝統のようです。
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