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田畑永代売買禁止令てん末 

幕藩体制下の君主は幕府の将軍でしたので、諸大名は幕府から領地を預かって軍役に服す管理者であっても、領地や領民の所有者ではありませんでした。従って彼らは他藩の領地を侵すことは許されず、領地を売却することも、担保にもできませんでした。

幕府は、大名を国替えしたり、改易を行ったりする力を持ち、大名が死亡し、子が世襲となる時は、将軍の同意を得る必要がありました。将軍が代わる場合においても、全ての大名は新将軍の承認を得なければならなりませんでした。

       幕府

農民もまた、土地の所有者ではなく、先祖から受け継いで耕作している農地であっても、売ることが出来ず、村内での貸借や一時預けが許されただけでした。
形式的には農地は全て村の管理するべきものでした。その土地が相続であれ、貸借であれ、使用権の形で委ねられているものでした。

田畑永代売買禁止令
資力をつけた豪農が村の大半の農地を得る事に対して、幕府や大名はこれを禁じる命令を出しました。理由として、少数の者が圧倒的に多くの農地を独占的に耕作すると、村という共同体の亀裂が生じることや、力の無い農民はやる気を失い、却って生産力が低下することを懸念したものとされます。

田畑永代売買禁止令は、農民が田畑を売買することを禁じた法令で、本百姓の没落と逃散を防ぐ為のものとされた。
大凶作で多くの農民が田畑を売却して離散してしまうと、収入源である年貢の負担する農民層の衰亡を防ぐためであるとした。
これは明治五年に廃止されるまで、名目上の効力をもっていました。(明治5年2月「土地永代売買の禁を解く」)

また「田畑勝手作禁止令」は、米を作るべき田畑で商品作物(木綿・煙草・菜種など)の栽培を禁止する法令でしたが、これは米(年貢)による税収の安定を確保する為であり、田畑で他の作物を栽培されると、年貢の収得が不安定となると考えました。

   質地證文

ところが実体は、商業経済に呑まれていて大名も農村も、換金作物や特産品などに頼らないと、財政の窮状に対応できなくなっていました。

実体は、質流れなどにより、江戸時代を通じて土地の売買は行われており、中期以後になると訴えが無いと取締りを行うことはありませんでした。(田畑質入證文)
借金の担保となった土地は、次第に豪農に集中していき、土地を増やしても、豪農は自ら耕作せずに、土地を水呑百姓に貸し、小作料を得たため、ますます田畑は集約されていきました。

年貢は、土地の所持者が支払うものですが、豪農は、年貢米の上に自の収入とする米を上乗せし、小作料を取るために、小作人は、ますます困窮し、仕舞には他国へ逃散、欠け落ちをする者も増え、逃げた先でも人手として受け入れていました。
(逃散は、農民が為政者への抗議として、集団で土地を離れる行動。欠け落ちは、他領などへ個々に遁走してしまうこと)江戸時代には、逃散した百姓が都市部へ出て、安い手間賃で生活することが一般に見られました。

         年貢米

年貢は、村全体で請け負う「村請制」だったため、村全体にとっても倒れ百姓が出ると年貢負担も重くなり、村役人(名主等)の辞任を申し出る者まで出ました。
例えば「倒れ百姓と余田(作付けの無い田)が増えて、荒使子(日雇い)も少ないので、遊歴者の滞在を許可」の願い出すほどでした。

百姓の逃散は、生産力の減退を意味するため、幕府、大名らは百姓の逃散を厳しく禁止するとともに、移住も原則として認めませんでした。それでも、繰り返されるので、熊本藩や佐賀藩では、互いに人返し協定を結んで対処したといいます。

もとより農民の大規模な一揆の発生は幕府よりの改易、取り潰しの口実となり得ましたので、大名は年貢の軽減に対応ぜざるを得なくなっていました。

         百姓


質地請戻しを村が支援
無年季質地請戻し慣行とは、質入した土地が流れても、元金さえを返済すれば、何年経っても取り戻すことができるというものでした。農地は、その村の責任で守るという意識があり、村は、百姓が土地を他の土地の者に質入れや譲り渡しすることを禁止し、村内で貸し手が見つからないと、村が融資をして土地を質に取りました。そうしないと村請制の崩壊につながることになったからです。

抜き地問題
天保4年(1833年)の凶作で、大飢饉となり困窮した農民は、田畑を質入して凌ごうとしました。
ところが、凶作の折には、借入も難しい状況だった為に、「質入證文」に記された外にも秘密裡に貸主に渡す「抜き地」が横行しました。表の質地證文には見えない農地まで取られてしまうため、抜き地は、そのまま年貢徴収の算定に残ってしまい、村請制ではたいへんな問題となりました。

無年季質地請け戻し慣行はありましたが、名目の質地の外に「抜き地」が潜んでいたために、土地台帳と実際の耕地とは一致しませんでした。地所改めや検地のやり直しの必要になったのです。

        地券 

明治六年の地租改正に於いても、測量の技術や人出も不足し、抜き地問題や、課税逃れのための過小測量等により土地台帳は正確さを欠いたままでした。この様な地券や土地台帳を引き継いできた現在の登記簿には「公信性はない」とされる理由のようです。

公信性がないとは、登記簿の記載と真実の権利関係が異なるときに、仮にその記載を信用したとしても、これを保護することができないというものです 。
「田畑永代禁止令」にはじまる土地の取引のてん末がこのようなカタチで残っているとは驚いてしまいます。

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