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木守りの柿

佐賀県、大和町は干し柿の産地だ。里山の農家の軒先には柿の珠暖簾のような風景がみられ、葉を落とし収穫の済んだ柿の木がいたるところで冬枯れをみせている。

           干し柿

山あいの松梅、名尾地区は、田畑の耕地が狭く、暮しの助けとして、冬場の作間稼ぎに山の資源を利用し、古くから薪炭、紙漉き、干し柿を作り、収入の助けとしていた。干し柿や紙漉きは、今でも特産品として続いている。

柿の木と分かるのは、細い枯れ枝の先に、数個の残し柿の実が野分に震えているからだ。

柿の木は折れやすいため、高所や枝の先端の実は採り残したものだろう―――と、思った。
ところが、他の蜜柑などの低木の果実も、数個の実が枝の先に残っていることが多い。

―――これは採り忘れたのではなく、意図的に果実を残したままであることがわかる。

                    木守りの柿

―――「木守りの柿」

―――収穫の済んだ柿の木に感謝をして、山の神に供物として残しておくもの。

そうすることで「山の神」は、翌年の豊作も約束するという。

「木守りの柿」は、盗ってもらったほうが喜ぶというところが多い。―――柿の実を神さまが召し上がってくれたことになるから。

実際には、近所の子供や往き掛かりの人が食べるか、また野鳥が啄ばむことが多いはず。
鳥は、「神の使い」とされたり、子供は神に近い存在とされた。往き交う旅人もまた、「客神」とも見なされた記憶なのでしょう。

農業や漁業も、収穫は神の加護とする信仰は、富は神からの恵みのため、収穫物は本来は「神の所有物」であったとする敬虔なる思いがある。

それは近代企業においても、生産手段も含め、利益すらも天からの預かりものという経営思想があったことで確認できる。

企業も公共物であるという考えかたは日本的な世界観だったかもしれない。行き過ぎた利益至上主義ではなく、豊かな森に育まれた共生の思想こそ日本のクォリティを育てたものだ。

労働を生産コストと割り切り、景気変動の調整手段とする派遣社員の比率が増える中で、永い歴史と風土が育んだ共生の思想こ気付くことが現代の閉塞を解く鍵かもしれない。

月見団子は盗まれたほうがいい―――とする伝承もまた同じことだろう。

             稲干し

佐賀県三瀬村では、田圃の稲を収穫したさい、片隅に「神の稲」と称して残しておいて、霜月(旧暦11月)の丑の日に刈るところもあったという。

このように生産物は、本来は「神のもの」という思いに「私権の暴走」を抑える知恵があったのだろう。

「木守りの柿」や、「刈り残した神の稲」のようなものを「トミ(富)」と呼ぶところが多かったという。

ここに「トミ(富)こそ神よりの許しであり、直会(なおらい)としての賜り物」という日本型の共生思想も成立する。

大企業の不祥事に、コンプライアンスが叫ばれる今日、日本の品質の背景にあった「共生の思い」こそ学ぶべきだ。

―――鴉が一羽、木守の柿を啄んでいた。
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