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芋名月と盗み

「十五夜の団子は盗んでもいい」という風習は全国的にあったらしい。

子供たちが竹竿の先に釘をつけ、縁側に供えてある月見団子を挿して盗ってもよいことになっていたらしい。
それだけではなく、十五夜の晩には、他人の畑から、里芋などの作物や柿など、果実を盗むことが許されていたという。

           里芋

「他人のものを盗る」という、今日では法令に反すると思われる行為が公然と許されているだけでなく、盗られる方はそのことを、むしろ喜んでいたように思える。

――――― これは特別な理由があってのことに違いない。

例えば、柿の木の下で柿を取って食べるだけなら盗みにならないという 。

木守りの柿」の風習があったのは、柿の木は神が宿る木のため柿の木の傍は神域になる。そのため、誰のものでもないので、採ってたべても構わないという「無縁」の論理である。

           木守りの柿

古代においてはモノの交換、取引は神の依り代となる神木の下や石座(いわくら)のもとで行われたのは、モノには所有者の「魂」が付着しているために、取引をするなら一端は、その縁を断ち誰のモノでもない「無縁」のものにしなければならないと考えていた。

近世までは、そのような無縁所といわれる聖域が「商い」の発生の「市庭」であったようだ。

市場とは「斎つく庭」であり交換物を無縁にリセットする聖なる場所であったのでした。 無縁所といわれるところには、峠の辻、坂の峠、神社の境内または門前、河原の中洲などが主な場所だった。

柿に限らず、収穫のすべてを刈取ることをしないで畑の一部に、作物を残しておく習慣があり、それは山の神に対して収穫の感謝をしての奉納の意味らしく、そうすることで翌年も豊作をもたらしてくれることを期待していた。これを「トミ」というところが多い。

佐賀県の山村、三瀬村では、田の刈取りをすると、収穫に感謝し「神の稲」を少し刈り残しておいたという。それは神への供物となるために、気付かれないように盗られても、寧ろ神がお召しになられたとされ喜ばれたようです。
                
「月見」が、本来は畑作の収穫を祝う儀礼であったようで、里芋は多くの子芋をつけるため十五夜から里芋を収穫するとか食べてもよいといわれてきた。

新潟県、村上地方では、月見団子の先を細くして里芋の形状にしていたという。
しかし畑作の呪術としては、月も里芋も白色で秋の結実を意味する色のため、山の神に収穫の感謝を告げる儀礼であったようだ。

           月見団子2

神への「贄」であればこそ貢納物としての里芋や月見団子は、いつの間にか無くなっていることは、神への意思疎通として喜んだにちがい。これが「十五夜の晩は盗んでもいい」という民俗を育んだ理由だと思う。

子供は大人より神に近い存在であるため、子どもたちが神に代わって供物を盗ることは寧ろ収穫祭礼としては喜ばれたということになる。
このように子どもは、神の尸童(よりまし)としての役目を果たしていたことは、各地の祭りにも残っている。
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