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亀甲墓(きっこうはか)と沖縄

 南風(はえ)を顔に受けて流れる車窓より、澄みわたった碧い空を借景に、丘陵の所々に何か白い遺跡のようなものが点在する光景を目にした。
 それが沖縄地方、独特の「亀甲墓」という墓と気づくのに少し時間を要すのは本土の人が思う墓のイメージとまるで異なるからです。

亀の甲に似ているところから「亀甲墓」といわれますが、「これは女性の子宮を模したもので、墓の入り口はちょうど産道に当たる」などと紹介されます。
「人は母胎から生まれ、死ぬとまた其処へ帰ってゆく・・」と説かれますがもう少し考えてみる必要があるようです。

                    亀甲墓

たしかに古代には、地母神(ちぼしん)を「大地の豊かさや豊穣のシンボル」として擬人化したため、生まれること、死ぬことは、母胎を介して循環する信仰があったようだ。
お墓もそのように、母なる「胎(はら)」を介して生まれ変わる造形としてそのような埋葬のお墓が発生したとしても不思議はありません。

そして自然の山や巨岩を神の依代(よりしろ)として崇める時代には岩山や海岸の洞窟などは、たんなる遺体の棄て場所や風葬の地としてより地母神の胎、穴としての思いがあったのでしょう。
                
沖縄には古くからニライカナイという遠い海原の果てに根の国があるという信仰があり、洞窟はその根の国への入り口でもあったという。
風葬の習慣があり、遺体を洞窟や岩陰などに安置しておいてのち白骨化した頃に、海水や泡盛(酒)で洗い清めて納骨する「洗骨」という儀式が残っていたのはそのためでした。火葬が主になった今ではなくなったものですが、両墓制として埋墓と詣墓を分離したきっかけのようです。

                    洞窟
 
これをみると亀甲墓の説明とも合致しますが、ただ沖縄地方の地勢を考えると琉球国の周辺は、いわゆる魏志倭人伝にいうところの会稽(かいけい)という江南道教の文化圏を共有していて、亀甲墓も福建省や台湾にも亀甲形のよく似た墓があるため揚子江南部から伝わったとも言われます。

江南道教といえば「神僊信仰」が盛んで、東海の渤海の中には蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう)という三神山があるとし、始皇帝は泰山(たいざん)に上って「封禅(ほうぜん)の祭り」を行い、不老不死の妙薬を道教の方士、徐福らに船団を組ませて求めさせたといいます。

封禅とは、天と地の祭りで、「封」は天の祭りで土を盛り、「禅」は土地を清掃し蓆を引きそこに供え物をして大地を祀ることでした。

洞窟は神を祀り修行をする処でもあり、遺体を風葬するのは、単純な自然葬ではなく神仙思想の影響があったと思う。また神仙思想には、亀が蓬莱山などの仙界を支えるとされるために「亀甲」のモチーフが採り入れられたものでしょうか?

沖縄では、年の初めにニライカナイより神がやって来て豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされ、「魂(たましい)」もニライカナイより来て、死者の魂もニライカナイに去ると考えられた。

                  ニライカナイ

中国の古典「周易」繫辞伝(けいじでん)には「古ハ墓シテ墳セズ」とあるように、古は人が身罷(みまか)ると、埋めることはしても土を盛ることはしなかったようですが、次第に肉親の埋葬の標(しるべ)としての墳墓となり位階により高さや大きさが決まっていき、墳、冢(ちょう)、丘、陵へと変容していった。

儒教では「人ハ死スレバ則チ 魂気ハ天ニ帰リ、形魄ハ地ニ帰ル。天ハ陽ナリ地ハ陰ナリ」とあります。
「魂気」を祭る処を「廟」とし、「形魄」を葬る処を「墓」として区別していましたが、不死を希求する神仙信仰の広まりにより、必然的に肉体(骨肉、形魄)を埋葬する「墳墓」が注目されて来て、墓の前庭での「墓祭」を重要視するようになった。

このことが祖神を祀る「宗廟」と形魄を祀る「墓」が融合した墓前において「魂魄ともに祭る」ことにより余慶(よけい)を得るものと崇められてきました(積善の家に余慶あり、積悪の門に余殃とどまる)
余慶とは「祖先の善行のおかげで、子孫が受ける幸福」のこと(広辞苑)

とくに漢代以降には、盛んに陰陽を祭る「墓祭」が行われるようになり「神と鬼(鬼は死者)を共に祭る」ようになったといいます。
こうして魂神(天・陽)を円とし形魄(地・陰)を方として「前方後円墳」という陵墓が出現するプロセスへ向かったものとも考えられます。

                    清明祭


謂わば、埋葬する墓から祭る墓へ祖廟と一体化していった為に、墓前での「祭祀」を行うための墓庭を設けてその周りを石垣で方形に囲んでいる。
亀甲墓は、天上が丸くドーム形で、前庭は方形として莚を敷き供え飲食をして祭るのはこのような神仙信仰の封禅の祭りを背景としているように見える。

沖縄は個人墓がまれで、亀甲墓も家族墓か門中墓のようですが、四月の「清明祭」や「旧盆」には 一族が集まり墓参りをして、お墓の前(庭)で持ち寄った料理を広げ歌舞をする光景は普通に見けられます。これは埋葬墓が主流の本土の墓とは別系の信仰によるものと思う。
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