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あうん(阿吽)

肥前国に、砥川石工(とがわいしく)と呼ばれた人等の集落があった。
鳥居、石灯籠、狛犬、石碑、石臼など様々なものを造る職人の郷だ。その技術は城郭の石組、河川や水田の土居など普請に広く知れわたていた。

農耕はしないため、必要な物資は行商人から物々交換ではなく現金にて調達した。石工は、山取り石工と石塔刻みに分かれており、山取り石工は山の荒石の切出しに専念し、石塔刻みは石彫をして分業により多くの事跡を遺した。

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神社の鳥居をくぐり参道を進むと迎えるのが一對の狛犬。本殿から見て、左がわに口を開いた「阿形」、右側には口を閉じた「吽形」の狛犬が鎮座する。
この宮の狛犬は、(神座から見て)左側は、口をあけたカタチで上に背伸びしている。もう一方は、右がわで口を結んだまま姿勢を下に向けている。

これは「阿吽(あうん)」の形で、森羅万象の始まりと終わりを示すとされている。


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どの様にして左右の配置が決まっているか、諸説のようだが、基本は「陰陽道」にあるようだ。
陰陽は、古来より左を「陽・上位・先」とし、右を「陰・下位・後」としてきた。

狛犬の配置も、本殿からみて左側が陽・牡・口をあけている。右は、陰・牝・口を閉じている。それに此の一對の狛犬の姿勢は、左は上を、右は下を向いている。

なぜ左が上位で「先」、右が下位で「後」になっているかと考える……

江南道教の圏内と交易した琉球王朝(沖縄地方)には、言葉にも独特の読み方がある。
例えば「東」は、東江(あがりえ)、東筋(あがりすじ)と読み、「西」も、西表島(いりおもてじま)のように、太陽が昇ってくる東を「あがる」、沈んでいく西を「いり」と読む。

背景は、北辰信仰にあり「天帝は、北位南面とす」とある。永久不可侵であり、天帝の不動の座を「北極星」とみなして易(かわ)ることのない王権のシンボルとしたものだ。

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神の座を「北位南面」とした場合、日輪の上がる東は「左」、先、陽となり、沈む西は「右」、後、陰となる。

四方位を陰陽に分けると、陽(東、南)、陰(西、北)、四季は、陽(春、夏)、陰(秋、冬)となる。

先に踏み出すのは、左足から、後ろに退くときは、右足から―――とした礼作法にもなった。

古来、左側通行が作法だった。理由は、行き交う相手からみて下位(右)の側を通るためである―――「武士の刀の鞘が触れないように」とは、俗説のようだ。

皇城のある地を「みやこ」とし、永い間、「京都(みやこ)」であった「平安京」は、陰陽五行のひとつである「風水」をもとに「蔵風得水(風を防ぎ水を得)」の妙地、また方位の四神に護られた「四神相応」の地として明治維新ののち「東京遷都」に至るまで千年の時を刻んだ。

四神とは、青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(玄武)の四方位の守護神のことである。

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神社は、北位南面を基本としたため、都合による社殿の向きにもかかわらず、左を「陽」、右を「陰」として定着した。従って、境内の神域を守る狛犬も左が「阿」右が「吽」のカタチを保っている。

佐賀城下の六座町には、「北面天満宮」という北方の賊に対峙した神社があるが、神座からみて左「阿」、右「吽」となっている。

是を「あうん(阿吽)」の呼吸というのでしょう。
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