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「報道赤穂事件」江戸かわらばん

MC:「元禄15年12月14日、元赤穂藩の浪士一党が本所の吉良邸に討入って、上野介の首(しるし)を奪った!」とのニュースが入りました。本所の吉良邸前には、現地レポーター深川記者を派遣しています。先ずは現地からどうぞ!」

 討入


記者:「おはようございます。現地の深川です八月に、吉良殿は隠居をして鍛冶橋のお屋敷から本所へと屋敷替えとなっていた ですが・・・
関係者よりの情報によりますと、雪の止んだ深夜、本所林町の借り宅を集合場所にして、周到な準備を重ねたうえで、大名火消しの装束に替え、寅の刻より、吉良邸へ向かったといいます。

 首尾よく本懐を遂げたあと隣の回向院へ向かったのですが、閉門中でしたので、内に入れず、旧主の墓所のある泉岳寺へ   と行進していったようです。

大川に架かる永代橋を渡り、武家地を避け河岸通りを進みましたが、野次馬も多く、江戸っ子には、あっぱれ忠義の士(さむらい)として概ね好意的なようです。現地からは以上です!」

 永代橋2


MC:「深川さん、ありがとうございます。ではスタジオには、今回の発端となった江戸城での刃傷事件で、浅野殿を必死に組み止めた、梶川さんをゲストとしてお越しいただいております。

そもそも梶川さん、噂では、5日に決行との噂もありましたが、その日が将軍お成りのため中止となり、再度14日に再度茶会が催されるとの極秘情報があり、最期のチャンスとして決断したのでしょうか?」

ゲスト梶川与惣兵衛:「此の期を逃すと、吉良殿が米沢へ隠居所を移すとの噂がありましたので、そうなると江戸とは違って討入は容易ではなかったのでしょうね?

それに、そもそも、あれは仇討ではないんですよ、御公儀の沙汰は済んでいるわけですし・・・あれは、一方的に浅野殿が刃傷に及んだだけの事件でした。浅野殿に切腹申しつけたのは御公儀でして吉良殿ではないということです。

 刃傷松の廊下


MC: 「刃傷に至る理由はともかく、公儀の判断もそこが重要ポイントとなって、即日、切腹の沙汰、領地没収と相成ったわけです よね?」

梶川:「然し赤穂の家臣の感情には、主君の側だけの厳罰となり、喧嘩両成敗の原則に沿わないものと思ったのでしょうね?
忠義の志もあったのでしょうが、処分への不満と意趣返しではなかったでしょうか?脱盟者も多かったそうですから・・」

MC: 「そもそも元禄14年3月14日、接待役、浅野内匠頭が殿中にて幕府の儀礼を司る高家の吉良上野介に切り付けた事件でして、結果としては喧嘩にはなってないのでしたね?」

梶川:「そのとおりです。それに仇討ちには、幕府または藩の許可状が必要だったはずです。それがなければ私闘というより裁定を下した御公儀のへの謀叛とみなされても当然です。

きっと厳しい処分がなされるものと思いますよ」
                   
 泉岳寺へ


【其の後の処分】:元禄十六年、二月四日、幕府の最終処分が決定し、吉良家はこの度の顛末を防げなかった事で領地没収となる。同じく、赤穂浪士等は、切腹の処断となり、それぞれの預け先の藩邸にて、夕暮れ迄には切腹の儀は終了した・・・

「あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」(大石内蔵助の辞世の歌とされる)

 ――― 以上、ワイドショー仕立ての視点でとらえてみました。

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