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万葉の暗号

暖かい初夏の陽射しを浴びていると、なぜかあの万葉の一首が浮かんできます。
―――春過ぎて夏来るらし 白妙の 衣乾したる天の香具山。(万1-28)
歌意:いつの間にか 春が過ぎ、夏になっていたようです 天の香具山に、白い衣を乾す様が見えて。

流れるような言葉が春から初夏へのまばゆい光景を浮かびあがらせ、心地よい音楽のよう。(香具山は、奈良県橿原市にあり畝傍山、耳成山と並び大和三山のひとつ)

             天の香具山

この歌は、持統天皇御製で有名なため、百花繚乱の評論にぎわうところですが、大浜巌比古説によると、必ずしも牧歌的な情景を詠んだだけの歌ではないといいます。

それは「春過ぎて(春)、なつきたるらし(夏) しろたへの(秋)、衣乾したり、天の香具(冬)山(地) 」……香具山は、別名を向南山(きたやま)と読み、北=冬の意のように、みごとな四季、陰陽五行の文字を配した天皇としての「政治理念」の表現だという。

「春夏秋冬」の四時と「天地」を詠い込むことにより「天」は日月星辰の運行、「地」は四方の神(東は青竜、西は白虎、南は朱雀、北は玄武)により天皇を守護し、四時順行を促し豊作を願う「時令思想」を詠ったもの。

             高松塚壁画

高松塚やキトラ古墳の壁画をみても、天武、持統朝は古代中国からの最新の易学、天文暦法の洗礼を受けた陰陽寮の成果として、天皇の時空支配を詠んだものらしい。

例えば、
易経:「天の神道に鑑みて四時たがわず、聖人は神道を以て教を設けて天下服す」や
史記:「天有五星、地有五行:地上に於いて、五行(木火土金水)が秩序を保ち天運行に併せて四季が巡り地上の平安と豊穣が約束される(天官書)」などをみると理解できます。

聖徳太子十七条の憲法(604年)の三にも:「詔を承けては必ず謹め。君をば則(すなわ)ち天とし、臣をば則地とす。天覆(おお)い地載せて四時順行し、万気(ばんき)通うことを得。地、天を覆わんと欲するときは、則ち壊(やぶ)るることを致さむのみ。以て、君のたまえば臣承(うけたまわ)り、上行なえば下靡(なび)く。ゆえに詔を承けては必ず慎め」……とある。

更に、天武天皇が崩御した686年を詠んだ歌に……

「北山に たなびく雲の青雲の 星離れゆき月を離れて(巻2-161番)」とあり、原文に「向南山」と表記された山が「北山」と判読され天の香具山に比定されています。

崩御した天武天皇の御霊である青雲が、香具山の上に漂い、最後に別れて天空に神去ってゆく。……ここにも、北、青(東)、離(南)、月(西)の四時が詠われています。
            
             玄武

古代中国では、自然と人間とは感応し合い、宇宙の秩序と調和は営みを自然のリズムと順応させることによりもたらされるとする天人相関説は時令思想へと、漢代には災異思想へと展開し、董仲舒は、時令に沿わない政治を行えば天はそれに感応して災異を下すとした。

春過ぎて夏来るらし 白妙の 衣乾したる天の香具山 (万1-28)

吉野説では:先天易では、乾(戌亥)は山で、香具山が東南の方位の示し「沢」となり、そのまま「山沢損」の卦となり「民が損をして君主に捧げれば、君主も喜び民に利益を与える。先ずは献身的に勤めよ」という統治意思のメッセージだとしている。
これは藤原の宮からみた香具山の方位を東南とすることから乾と巽の組み合わせとなるようです。

                先天八卦図

もとより火徳の天武のあとを継いだ持統天皇は、五行でいう土徳の天皇であり「歌」そのものも五行配当では土気であり、土気は、四季の中の18日間に必ず配されているため四時順行を支配する立場にある。

このように一見、のどかな牧歌的な歌にも、秘かに天皇の政治的メッセージを組み込んだ「歌」は、まさに遁甲をよくすという天武・持統朝の先鋭的な科学、呪術であり暗号でもあった。

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