かごめかごめ
子どもの遊びは、かっては大人が神祭りとして行ったものが影響しているものが多く、辻遊びとして流行った「かごめかごめ」は不思議な遊びだ。
「かごめかごめ、かごの中の鳥は、いついつ出やる夜明けの晩に、鶴と亀がすべった。後ろの正面だあれ?」と歌い、
輪の中にかがんだ鬼の周りをまわり、鬼に名を当てられると交替する遊びである。
陰陽五行説で考えてみたい。

子どもたちが鬼を中心にして回っているのは、鬼は死者の意味であり、真ん中の方位は、土気に配されるために
輪の真ん中で目をふさぎ、かがむのは死者である鬼を擬制しているものでしょう。
丸く輪になってまわるのは、国産み神話のときとおなじく陰陽の交合をあらわし、死者の甦りを祈る神事で
あったものであろう。 夏の盆踊りも、そのような形式を踏襲しているものにちがいない。
「かごめかごめ」は、元来は、「屈め、かがめ」であったものがカゴメに変化し、鬼は鳥にかわったものかと思う。
カゴメとは、邪気を避ける呪物であったため、鬼を閉じ込めるにふさわしいものだったからです。

「いついつ出やる、夜明けの晩に」とは、夜と朝の「境目」である「丑寅の刻」のことであり、「艮(ごん)」の
五行では、土の方位である。死者である真ん中の鬼が、生きている人たちの陰陽の交歓により、
中央の冥界から、丑寅の鬼門を通ってこの世に再生するという筋だろう。
「鶴と亀がすべった」とは甦りとは陰から陽への変換になるため鶴は陽、亀は陰をあらわし、それが、「滑って反転」することではじめて陰の気から陽気に顕現できるということにちがいない。

鬼にあてられた子は、代わって鬼である死者になるという遊びであったにちがいない。
これはそのまま、収穫の秋を終えて冬を向かえ、種子が固い殻の中にこもり冬から春に土の力を借りて新たな発芽を予祝する祀りであったものが、子どもの辻遊びとして伝わってきたものと思う。
「かごめかごめ、かごの中の鳥は、いついつ出やる夜明けの晩に、鶴と亀がすべった。後ろの正面だあれ?」と歌い、
輪の中にかがんだ鬼の周りをまわり、鬼に名を当てられると交替する遊びである。
陰陽五行説で考えてみたい。

子どもたちが鬼を中心にして回っているのは、鬼は死者の意味であり、真ん中の方位は、土気に配されるために
輪の真ん中で目をふさぎ、かがむのは死者である鬼を擬制しているものでしょう。
丸く輪になってまわるのは、国産み神話のときとおなじく陰陽の交合をあらわし、死者の甦りを祈る神事で
あったものであろう。 夏の盆踊りも、そのような形式を踏襲しているものにちがいない。
「かごめかごめ」は、元来は、「屈め、かがめ」であったものがカゴメに変化し、鬼は鳥にかわったものかと思う。
カゴメとは、邪気を避ける呪物であったため、鬼を閉じ込めるにふさわしいものだったからです。

「いついつ出やる、夜明けの晩に」とは、夜と朝の「境目」である「丑寅の刻」のことであり、「艮(ごん)」の
五行では、土の方位である。死者である真ん中の鬼が、生きている人たちの陰陽の交歓により、
中央の冥界から、丑寅の鬼門を通ってこの世に再生するという筋だろう。
「鶴と亀がすべった」とは甦りとは陰から陽への変換になるため鶴は陽、亀は陰をあらわし、それが、「滑って反転」することではじめて陰の気から陽気に顕現できるということにちがいない。

鬼にあてられた子は、代わって鬼である死者になるという遊びであったにちがいない。
これはそのまま、収穫の秋を終えて冬を向かえ、種子が固い殻の中にこもり冬から春に土の力を借りて新たな発芽を予祝する祀りであったものが、子どもの辻遊びとして伝わってきたものと思う。
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